2018.3.17 11:07
【浪速風】
森友文書改竄 桜吹雪はすべてお見通しだ(3月17日)
http://www.sankei.com/west/news/180317/wst1803170019-n1.html
組織的に文書を書き換える。責任者はお白州で開き直る。時代劇に出てくる典型的な悪徳商人のようではないか。森友学園文書の改竄(かいざん)で、当時財務省理財局長だった佐川宣寿(のぶひさ)前国税庁長官が証人喚問される見通しとなった。お白州ならぬ国会で事実を洗いざらい明らかにせよ ▼国民はもううんざりしているのではないか。北朝鮮問題、憲法改正と国政の重要課題は山のようにある。改竄で安倍晋三政権への信頼が揺らいでいる。すみやかに事実を明らかにし責任を取るべき者は取って、一日も早くまともな国会に戻さねばならない。このていたらくを喜んでいるのは北朝鮮の指導者だろう ▼日一日と春らしさは増しているのに、この国の政治の低劣さのせいで浮かれた気分にはなれない。時期は少し早いが、桜の彫り物を入れた町奉行がお白州で悪事をあばく人気時代劇「遠山の金さん」ふうに、嘘は決して許されないといっておきたい。桜吹雪はすべてお見通しだ。
政権広告塔の産経新聞の記事です。
「改竄で安倍晋三政権への信頼が揺らいでいる。」
とは言っていますが、証人喚問で本当のことを佐川前国税庁長官が話した場合、だれが得するのか?
それとも、小説のように家族を人質に・・・なんて三文ドラマ仕立て。
どんな答弁するのか、内容によっては総辞職?
しかし、内閣総辞職を自民党もそうであるが公明党も受けられない。
そうなると安倍晋三に自己責任をとらせるのではないか。
このままですと、安倍・麻生の辞職と財務省解体。
さあこの黒幕は誰ででしょうか?
今回、公文書偽造を世に広める画策をした黒幕の方です。
このスキャンダルで得するのは誰でしょうかね。
安倍を失脚させた後の権力、次の政権で権力を掌握しようとねらっている人間に産経は肩入れしているのか。
まるでブラックジョークみたいな内容になってきた記事は誰の為でしょう。
MMC太陽熱温水器
http://item.rakuten.co.jp/mmcsolar/c/0000000110/
入水温度 10℃
温水器 50℃ 温度差40℃
太陽光発電
発電量29.2KW ピーク4.11KW
3月17日(土)
晴れ
最高気温(℃)[前日差] 15℃[-1]最低気温(℃)[前日差] 2℃[-11]
降水確率(%) 0 0 0 0
時間帯(時) 0-6 6-12 12-18 18-24
このブログに記事とは異なりますが
返信削除森友問題の土地で思い出した事があります。
実家のごく近くに名古屋競馬場があり、道路を挟んだ向こう側に名古屋市の土古公園があります。
面積は、7800平米で野球グランドもある大きな公園です。
ここの土地は以前、大きな池でした。
50年くらい前に埋め立てが始まり、最初に埋められたのはゴミやガレキでした。
なぜ、こんな大きな公園ができたか、私なりに考えると
当時この付近は、田や畑地がかなり残っており
コミやガレキで埋め立てた土地はでは、通常の価格では売却できなかったと思われます。
現在、ゴミ捨ての現場をほぼ毎日のように見ていた人
(私、家族、友人や付近の住民人は)ほとんどいません。
もし、この公園を現在、名古屋市が売却しようとした場合、
担当者は、どうやって売るのでしょうか?
もし、上から現在の土地評価額を基準にと支持があった場合、
どうやって売るのでしょうか
実績を残したい担当者なら、相手が50年前の事を知っているかどうかでしょうね
また、買いたい相手が、この土地の秘密をしていたらどのような展開になるのでしょうか
森友学園の土地のゴミについて
私がネットで検索して調べた限りでは、
付近の土地は、昭和30年前半は、一面 田んぼ、川、溜め池、湿地帯でした
ここを埋め立てるさいに、深い部分には最初はゴミやガレキが使われたようです。
このため、土地によっては、ゴミやガレキの深さが異なるのは容易に推測できます。
50年以上前の事から現在までの推移を知る人はほとんどいないはずで、今のマスコミでは報道できない内容です。
土古公園、懐かしいです。
削除小学生の頃、遊んだ記憶があるので埋め立てられたのは50年以上前ですね。
昔、池や沼だったところは何が埋まっているか判らないことが多そうですね。
このコメントは投稿者によって削除されました。
返信削除私の記憶では、中学生の時に埋め立て前の記憶があり
返信削除高校生の頃に野球場でサッカーをした記憶があります。
いつ埋め立てられたのか気になってネットで検索すると
戦前の名古屋市都市計画公園史について
http://www.nup.or.jp/nui/user/media/document/investigation/h24/NUI.aoki.pdf
の20、24、26ページに、記載があります。26ページに
昭和17年事業着手。・・・・昭和40年代ごろまでは、池は存続し、後埋めててられた。
と記載がありました。
また、名古屋市土地開発公社 塩漬け土地 時価評価額と積上土地一覧表(名古屋市 依頼文)
http://www.ombnagoya.gr.jp/tokusyuu/sioduke/sio090319.pdf
には、土古公園が5か所記載があります。
私の幼い頃に聞いた話。戦争中、名古屋競馬場があった場所は、高射砲陣地があり
米軍が落とした爆弾で池ができたと・・・・
名古屋競馬場がいつできたのか気になってネット調べて見ると
名古屋競馬場のウイキペディアには
1949年(昭和24年)5月20日 竣工
6月 - 第1回県営名古屋競馬開催
と記載がありました。
また、名古屋市の港区のHPには
http://www.city.nagoya.jp/minato/page/0000017910.html
なごや競馬場の前身(泰明町1丁目)
太平洋戦争当時高射砲陣地として、7から8門の砲が配置してあった。
戦後、陣地はダイナマイトで破壊され無くなった。
土古農場
生徒が動員され、農作業に駆り出された。米軍機の機銃を浴びる事もあり、恐ろしい体験をした。昭和21年頃が最後。
ここまでくると、現在の稲永公園付近にあった飛行場の事が気になってきました。
飛行場についてネットで調べると
返信削除港に開かれた空港
http://underzero.net/html/tz/tz_470_3.htm
が見つかり、を読んでびっくりしました。
幼い頃聞いた話は、半分ぐらいは真実のような気がしてきました。